何者として働くか、働きたいか

このあいだ、podcastで、自分自身を「Teaching Professor(教務教授)」と名乗っているの方がいて素敵だなと思った。なぜそこに響いたのか、自分でも上手く説明できないけれど、「非常勤講師」「フリーランス」である自分、いつまで「非常勤」でいるんだろう、いやでもこの働き方結構嫌いじゃないんだよな、とモヤモヤ考えていたことが頭に浮かび、この機会にこのモヤモヤを整理してみようと、ここに記してみることにする。

前提条件として、子育てしながら3つの種類の仕事をする今の働き方は結構気に入っている。

今、自分は大学の非常勤講師であり、小中学校の非常勤講師でもあり、個人事業のほうではフリーランスでもあるという複数の「肩書き」をもっている。でも、「非常勤」とか「フリーランス」という言葉は、全然自分が欲しい肩書きではない。これまでそれにあまり目を向けずに、ま、いっか。仕事も楽しいし。とやってきたけれど、キャリアという視点で考えた時に、やっぱり「非常勤」「フリーランス」ではモチベーション上がらない。

まず、「非常勤講師」から連想するイメージは「常勤でない人」。常勤を目指してる過渡期にある人、みたいな本当は常勤になりたいんだけど…という印象を受ける。漢字の「非」という言葉が先頭に来ているせいか、あまりいいイメージじゃない。おそらくこれが、「肩書として嬉しくない」の一番の正体。

学生からすれば、先生が非常勤なのか常勤なのかなんてあまり関係ない。「授業の担当者」という点だけでみれば、教授も常勤講師も非常勤講師もやっていることは同じで、自分で教育企画をし、教材を決め、シラバスを作成し、授業をして、学生の評価もする。

次にフリーランス。

「フリーランス」という言葉や働き方は、コロナ禍以降珍しくないものになってきていると思う。そこからくるイメージは「組織に属していない人」あるいは「自分の裁量でいろいろと自由にやっている人」といったところだろうか。先ほどの「非常勤講師」よりは悪くない肩書きだが、フリーランスと日本語教育という組み合わせがあまりしっくりこないのかもしれない。また、非常勤講師には、常勤講師という反義語があるけれど、フリーランスの反対は?と考えると出てこない。組織に属している人?

じゃあ、今自分がほしい肩書きって何?そもそも、欲しいのは肩書き?そんなことをモヤモヤと考えながら、今度参加する台湾のICJLEの学会用の名刺をAIに助けてもらいながら作成。

結局、肩書きや身分は書かずに、名前の下に「日本語教育」と書き、その下にTeachingとResearch&Practiceでそれぞれの教育機関でやっていることや研究の関心を記すことにした。

この、日本語教師が抱く「自分は何者か」問題は、自分が様々なフィールドを超えて日本語教育・ことばの教育に携わってきたからこそ必然的に生まれてきたものではないかと思う。

さて、冒頭のTeaching Professorの何に惹かれたか、ここまで書きながら考えてみると、Professorだけだと大学の研究者という感じになってしまい、「日本語を教える人」というニュアンスがなくなってしまうからだと思う。しかし、ここにTeachingが入ることで、授業をすることをメインとして研究もやる人というのが明確になり、大学で日本語教育に携わる人の実態により近い感じがしたのだ。

そして、改めて、日本語教師って「日本語を教える」だけじゃないんだよなー。でも、授業をしたり学びの場を作ったりという実践の場にはいつまでもいたいんだよなーと再確認した。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です