地域の日本語教室で(心理的安全性vsインクルーシブ教育)

先日、初めて自分が住む街の「地域の日本語教室」へ見学に行ってきた。

これまでも何度か参加してみようとは思ったが、どうしても週末の時間が合わず

今年度やっと時間に都合がついたので、事前にメールで見学希望の旨を伝えた。

その時に、「子どもを連れていくことは可能か」という確認をしていた。

なぜなら我が家は近くに頼れる実家がないため、夫か私が週末に予定が入った場合

必然的にもう片方が子どもを見ることになるからである。我が家に子どもは2人。

夫に仕事が入った場合は2人とも私。子どもどちらかのイベントが入った場合は、1人ずつ担当。

もし夫に2人ともお願いできる日は、私1人で参加。

それが難しい環境であれば、我が家の今の状況ではボランティアをするのは難しいなと思っていた。

先方からの返信は「大丈夫ですよ。これまでも子連れ参加の方がいたので。」とのことだった。

安心して、当日は娘1人を連れて参加。大人しくて新しい場所が苦手な娘ではあるが

今回の教室の話をしたら、「行ってみたい」と言ってくれた。

おそらく私が英語や日本語の先生をしていることは知っていて、

普段から本人も「ことば」に興味を持っているからだと思う。

「お友達は日本語を勉強しているんだよ。〇〇(娘)は英語や手話を勉強しているでしょ。

それと一緒。お友達が困ってたら助けてあげて、自分が困ったときは助けてもらいなよ。」

なんて話をしながら教室に到着した。

ところが。見学前の説明で「子どもは中に入れない」と言われた。

理由を尋ねると「ここは外国人の子どもが日本語を学ぶ場所だから。中には日本の学校に合わなくて不登校になった子もいる。ここは彼らにとって安心できる場所だから。日本人の先生はいいけど日本人の子どもは入らないでほしい。隣で日本人が漢字を簡単に書いている様子を見たら、子どもがどんな気持ちになるか考えて欲しい。」とのことだった。

どうやら私のメールを受け付けてくれた方は別の方だったらしい。

別の自治体で「インクルーシブな教室づくり」を考えるグループに参加している身としては衝撃だった。

以前私は公立中学校日本語担当教員だったので、学校に馴染めなくて不登校になる児童生徒の辛さは

痛いほど知っている。でもそれと「日本人の子は参加させない」は結びつくものなのだろうか。

心理的安全性とは?地域の日本語教室とは?インクルーシブな環境とは?

いろんなことが頭を駆け巡った。

日本人の子も、日本語学習中の子も、お互いに同じ空間でピア・ラーニングできると

勝手に思っていた私が悪かったのかもしれない。

そして私はこの教室の責任者でも何でもないので、何も口出しできない。

ただ我が家の環境では、それではボランティアは難しいという事実を伝えると

「就学時前の幼児クラスであれば、まだ体系的に日本語も勉強してないし、そんなに気にしないから、大丈夫。ではしばらくは娘さんも一緒に参加で幼児クラス担当で。娘さんが1人で別の部屋で待てるようになったら、もしくは娘さんがいない日は小学生以上担当で。」と言われた。

正直なところ、我が子を無理やり別室に待機させてまでボランティアをする気はない。

でも一先ず幼児クラスに参加できることになったので、安心した。

その日は娘も楽しそうに、一緒に折り紙したり本を読んだりしていた。

でも今後、どうするかはまだ未定だ。

とりあえず今はエポケー(判断保留)中。

小学生以上の子たちは本当に「日本人の子はお断り」と思っているのだろうか。

それは彼らの意見?それとも大人の意見?

これからまた学校に戻るつもりなら、安心して話せる日本人の子に出会うことも

意味があるのでは。隔離して合わせないことが本当に良いこと?

我が子は「日本人」だから学習の邪魔になる?

「インクルーシブな環境づくり」を意識し過ぎている私がおかしいのか。

今もまだ頭の中のグルグルは続いている。

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